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鹿児島商船学校練習船「霧島丸」遭難慰霊碑 献花・献杯・清掃活動 (令和4年10月16日)

この度、海洋会鹿児島支部が主体となり、令和4年10月16日(日) 鹿児島商船学校練習船「霧島丸」遭難慰霊碑の美化清掃活動が行いました。

海洋会会員・小松会鹿児島支部会員・他校出身の全船協会員と非会員と一部の家族(奥様・子供達)約25名が参加しました。

単に清掃だけでなく、慰霊碑前で御霊に安全を誓う式典を昼食前に実施し、献花・献杯で犠牲者を悼むとともに、最後に全員で「白菊の歌」を声高々に唄って式典を終えました。

昼食の際は、参加者の皆様と懇親を深める事もできました。

 

 ◎ 同窓会小松会鹿児島支部より

・N47 野元準之助

(野元準之助氏は、昭和21年3月 官立商船学校のうち2校(粟島・鹿児島)が廃止され、鹿児島商船学校の廃止に伴い、同校の生徒全員が大島商船学校に転籍されました。その時の在校生です。現在、鹿児島商船学校の同窓会は皆さんご高齢になり同窓会は解散となりましたが、野元準之助氏は最後の鹿児島商船学校同窓会会長を務められました。)

・N67 堀ノ内仁 ・E67 田中久雄 ・N71 大迫哲哉 ・E72 池上浩一

・N110 城戸裕晶

以上6名が参加いたしました。(敬称は省略します)

 

鹿児島商船学校練習船霧島丸海難事故について

昭和2年3月9日、現在の鹿児島大学水産学部の場所にありました県立鹿児島商船学校の練習船 「帆船霧島丸(木造 997GT」 が、千葉県犬吠埼沖で荒天のため遭難し、 白濱重雄船長以下53人全員が死亡するという痛ましい海難事故がありました。

当時,全国にあった県立商船学校の練習船は木造船で海難事故も多く、 この事故を契機に昭和5年に大型鋼船練習帆船「日本丸」と「海王丸」が建造されました。

また、その運行を管理する航海訓練所が新設されました。

昭和4年6月、 校庭に霧島丸殉職者の功績を永く伝えるために、

霧島丸遭難慰霊碑 (香川県産の奄治石)が建立されました。

題字は元帥伯爵 東郷平八郎閣下、

碑文は鹿児島県立第一高等女学校教諭 小松文雄氏。

年後には、霧島丸海難100年を迎えます。

 

◎ 練習船大島丸が航海実習で鹿児島本港南埠頭に入港中の平成28年5月25日に、鹿児島商船学校練習船「霧島丸」遭難慰霊碑献花式が行われました。

大島丸乗組員教職員(9名)・学生(38名)・同窓会鹿児島支部(5名)が参加しました。

(文責 N67期 堀ノ内 仁)