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同窓会会長挨拶


成人式

   同窓会長 N72・NN3 広重康成

 

昭和49年1月10日帆船日本丸は20歳代の学生100名を実習生として乗せて、晴海埠頭を出航し、ハワイへと針路を定めました。その実習生の1人が私です。

帆走訓練は長崎から東京までを1回、鹿児島からも更にもう1回実施してはいたものの、「さあいよいよ本物の遠洋航海だ。日本とはおさらばだ」そんな気持ちの高ぶりが船内全体に充満し、学生たちは祝杯をあげ、船酔いなのか酒のせいなのか分からなくなっていました。

東京湾を出て丸24時間、人生初の大時化でしたが、自然の恐ろしさをまだ何も知らない若者たちにとっては中々強烈な、味の濃いオーシャンウイスキーになりました。

 

1月15日の朝課業は藤井春三(ふじいしゅんぞう)、

首席一等航海士の第一声から始まりました。

「今日は成人の日だ。この中にもたくさん成人式を迎える者がいる。しかし船では成人式はしない。今日、これから君たちにはマストに登ってもらう。これが君らの成人式だ!」

私は何故か胸が熱くなりました。べたべた甘やかされて育てられた私はとにかく家を出たくて、寮生活に憧れて商船学校を選んだのです。4人兄弟の末っ子、大正生まれの父は兄にはとても厳しく、姉2人には甘く、更に私には砂糖漬けにするつもりか、と

言いたくなるくらいべったべたに甘かった。

船乗りになろうとか、航海士になりたいとか、そんなことはこれっぽっちも思ってはいませんでした。だから学生時代はずっと悩んでいました。退学しようと真剣に考えたこともあります。

 

 

でも、このチョッサーの言葉には参りました。私の中の何かがスパッとふっ切れたのを感じました。言い表せなかった心の中のもやもやが、一瞬にして消え去ったのです。ぶるっと身体が震えました。隣に立っていた奴に気付かれたかもしれません。

どんよりと曇った冬の空に向かってそれぞれが割り当てられた場所を目指して登って行きます。上を見れば船が揺れているので雲の位置も揺れに合わせてリズミカルに移動します。足元を見ると日本丸の安全帽を被った学生の頭が続いています。誰もが緊張し、寡黙で、おごそかな気分がピーンと張りつめた目には見えない糸のように繋がっていました。

 

帆走に切り替わった日本丸は風下側にほんの少し傾斜して滑らかに走り始めました。聞こえるのは操舵直の「ウエザー1枚」とか「リー2枚」という号令か、30分ごとに鳴らされる点鐘の澄んだ音色のみ。揺れがほとんどなく、エンジンの振動も消え時間がゆったりと流れているのが分かります。

 

商船5校の学生が日本丸と海王丸のどちらかに振り分けられ、6班に分割され、更に部屋が割り当てられました。8人部屋に7人が入ります。自分のスペースはカーテンで仕切られたベッドだけという世界です。でも、大島商船以外の、広島、弓削、鳥羽、富山の異人種と出会ったことで生まれ変わったような気分でした。誰もが初めての帆船日本丸です。どいつもこいつも同じ日本丸の実習生です。格好つけても仕方ありません。私は閉ざしていた心が自然解凍されていくような、じわじわと足の指先から温かいものが心臓に向かって浸み込んでいくような何とも言えない感覚を味わいました。でも間違いなく心が解放されていくのを確かなものとして受け止めていたのです。

 

 

学校で天測計算を学び、日本丸では早く正確に位置が出せるように何回も天測を繰り返します。午前中は太陽で位置を決め、夕方は星です。方向音痴の私が旅先で妻に旅館の方向を教えることができるのは天測で覚えた星のおかげです。

もう一つは海という大自然を実感したことです。長さ97m、幅13m、喫水5m、総トン数2,300tonの世界に誇る帆船日本丸が風だけの力でゆったりと走り始めたときは正直にすごい!と感動したものです。

強風の中、10ノットも出たのには驚きました。マストが折れたらどうするんだろうとリベットで接合された外板をしみじみと眺めたことを思い出します。上甲板にはライフラインが張られます。風下を進まないと極めて危険であると痛感します。

おまけは水の大切さです。1日の清水使用量が決められグラフとして誰もが目にする食堂に貼られます。少しでもオーバーすれば即、節水です。風呂は週2回。洗濯は週1回のみ。20歳代のギトギトした男子が100人も続けて入るお風呂がどのようなものかご理解頂けますでしょうか。

当直が終わった班の順に風呂を使います。浴槽は海水風呂です。上がり湯だけ清水になっています。「しまい風呂」に当たるとバスタブの中はラードが浮いている状態です。

今までの人生の中でベスト3には必ず入る気持ち悪い光景の一つです。ですから、ハワイに入港してチョッサーから「今日は水をいくら使っても許す」という言葉が出たときは、「おおっ!」という歓声が上がったのでした。

 

54歳で日本丸は引退するのですが、私が実習生として乗船したのは彼女が43歳のとき。ワインならフルボディでしょう。

北緯20度辺りから貿易風帯に入り、天気も良く、気温もグッと上がり学生たちは裸足で過ごすようになります。おおよそ40日間を裸足のままで過ごしたのはあの日本丸のときだけです。

 

もし、私が日本丸を経験していなかったら絶対に船乗りにはなっていなかったことでしょう。一人で抱え込んでいた悩みを一切合切打ち明けることができたから本気で将来を考えることができたのです。テレビがない生活。手紙も届かない、ラインもメールも全くありません。ラジオも聞けません。親も兄弟も彼女も全く関わることはできない生活。プライベートは与えられた藁マットのベッド1人分だけの世界。だからこそ帆船の生活は海という大自然に溶け込んでいくのに最適の条件が揃っていたのです。

 

成人の日が来るたびにあの日のマスト登りがよみがえります。不平と不満とモヤモヤのかたまりだった私がそこにいます。

 

今は日本丸及び海王丸2世が誕生しています。世界に誇るすばらしい帆船を2隻も保有する海運国家日本です。我が国を支える若人たちが帆船実習と機船実習を通じて育つことを切に願い、年頭のご挨拶と致します。

 

 

| 2024.01.11 |