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WBCと豊後水道

2023

大島商船高専 同窓会会長 N72・NN3 広重康成

 

同窓会正会員である卒業生の皆さん、準会員である学生の皆さん、いかがお過ごしでしょうか。

 

今年、令和5年3月に4代目となる大島丸が新たに誕生し、それに合わせて桟橋も新しくなり、無事3月19日、校内練習船として竣工引き渡しが完了したことは、何よりも嬉しくおめでたいことです。昨年は慰霊塔の周囲がバリアフリーに新替えされ、格段に綺麗になり維持管理もしやすくなりました。まだ見ていない方は是非早く来て、ご自分の目で慰霊塔、桟橋、大島丸の3点セットをしっかり確認して下さい。

 

我が母校は今から126年前となる明治30年(1897年)、大島郡立大島海員学校として誕生しました。つまり現在の地元大島町にお住いの皆さんの熱意によって生まれたということになります。このことを、ともすると忘れている方も多いと思いますが、今一度記憶の隅にしっかりとインプットして頂きますようお願い申し上げます。

 

この文章を読んで頂いている頃は6月になっているでしょうが、書いている今は3月です。あのワールド・ベースボール・クラッシック、つまりWBCが終わった直後です。ご存じの通り栗山英樹監督が率いる侍ジャパンが世界一となりました。個人的には、予選リーグはたぶん大丈夫だろうと思いましたが準決勝のメキシコ戦は(負けるかも)と、不安がよぎりました。まさか村神様がサヨナラ2塁打を打つなんて、あんまりです。

 

そして決勝。大谷翔平に繋ぐまでの若い投手たちがまあ堂々のピッチングではありませんか。テレビに向かって拍手と声援を茶の間から送っていたのは私だけではないと思います。9回表ダブルプレーの後、大谷と同じチームのアメリカが誇る強打者トラウトと大谷との一騎打ちの場面、フルカウントの後の6球目、大谷は渾身の力で変化球を投げた。ここぞとばかり振ったバットは見事に空を切り試合終了。日本国内だけに留まらず野球ファンはもちろんのこと、野球に関心のない人までも痺れさせた名場面になりました。

 

試合終了後、私はこの感動の感覚が以前にもあったような気がすることに、過去にもよく似た経験があったなと、思い出したのでした。私たちの時代は三等航海士が長い世代でした。船会社は自社船の保有隻数を減らし、傭船へと切り替え、更には近代化と称する乗組員11名だけの運行形態を目指す方針へと大舵を切るさなかにあったからです。そんな頃に二等航海士の辞令をようやくもらい、豪州航路の帰りの航海は大分入港前夜の豊後水道当直に当たりました。

 

「セコンドッサー、ここで起こしてくれ。コースラインにはこだわるな。何かあったらすぐ起こせ」

 

それだけ言い残してM船長はブリッジから降りました。

 

実はこの船は休暇前にも乗船していて三等航海士だったし、セコンドに繰り上がったらまた同じ船に乗船命令が来て、M船長は継続乗船中だったのです。サードだった私がセコンドに成りたてであることは百も承知なのに、漁船も行き会い船も、わんさか通る深夜の豊後水道を任して頂いたことに、緊張感でブルっと身体が震えました。

 

「スターボードテン。ミッジップ。ステディー!」

というように操舵号令を発しながら、水ノ子島灯台を左舷前方に見て、海図に記載されたキャップテンコールの地点で船長に無事引き継ぎをし、当直を終え、自室に戻った瞬間、過去には一度もなかった不思議な感覚が、じゅわーっと足の裏側から這い上がってきて、何とも言いようのない充足感が全身に広がったのでした。あの時、セコンドになったばかりの私に、20万トンの鉱石専用船を任せて頂いたことが、今の私を支えています。

 

あれから既に40年ほど経ちましたがM船長とは今もお会いしています。

OB会で出会ったある日「よく私に豊後水道の操船を任せてくれましたね」

と言ったら「そりゃそうさ。わしゃ眠かったから任さんにゃ眠れんじゃないか」

 

栗山英樹監督、優勝おめでとうございます。大谷翔平選手、二刀流すばらしかったです。WBCに関係されたすべての皆さん、感動をありがとうございました。桜が満開です。桜も喜んでいます。人生はすばらしい!人間ってすばらしい‼